今日読みたい「悲しみと癒し」のアファメーション
- 今日は無理をしなくていい。
- ゆっくりでかまわない。
- 失ったものを、ちゃんと感じてみる。
- 痛むのは、それだけ大切だった証。
- 泣いていい。
- 涙は弱さのしるしじゃない。
- 悲しみに正しい形なんてない。
- 今は強くなくても大丈夫。
- 失ったものを、そっと抱える。
- 悲しみを説明しなくてもかまわない。
- 愛したから悲しい。
- 会いたい気持ちも、愛のうちだ。
- あったものは本物だった。
- 今日は崩れてもいい。
- 悲しみを、ただ抱えている。
- 悲しみを急がなくても大丈夫。
- 時間は、いくらでもかけられる。
- 失ったものは、確かにそこにあった。
- ひとりで抱えなくていい。
- 今日まで生きてきた。
- 悲しみは波のように来る。
- 今日、ここにいる。それで十分。
- この胸の穴は、愛のかたち。
- 今日を乗り越えた。
- 悲しみながら、それでも生きていける。
- 今、悲しみのまんなかにいる。
- 会いたいという痛みは本物で、誰に分かってもらえなくても、そのままでいい。
- 悲しみは本物。誰にも、自分にも、理由を説明しなくてかまわない。
- 胸の痛みが深いのは、それだけ深く想っていたからだ。その想いを、大切にしていく。
- 失ったものが近くに感じる日もある。それでかまわない。
悲しみに寄りそうアファメーションにできること
悲しみは、解決すべき問題ではありません。ここにある一行も、決してそう扱いません。区切りがつくという約束も、隠された意味も、いつ楽になるはずかという予定表も、ここにはありません。短い一文にできるのは、今、本当だと感じていることに名前をつけることです。そうすれば、それを黙って抱えずにすみます。「悲しみは本物。誰にも、自分にも、理由を説明しなくてかまわない」。重い日には、たとえ自分の声でも、そう聞くことが慰めになります。その痛みに、言いくるめられるのではなく、認めてもらえる場所ができるのです。
段階のモデルも、ここには出てきません。悲しみは否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容と進んでいく、という考え方は広く教えられていますが、喪失を研究する人たちからは、同じくらい広く疑問を投げかけられています。もともとチェックリストのつもりでつくられたものではありませんし、悲しみがそのとおりに進むこともまれです。ある日の午後だけで、そのうち三つの段階を感じる人もいます。一つも感じないまま、すっきりした形にはならないやわらかな痛みを、何年も抱え続ける人もいます。「悲しみはまっすぐには進まない。来ては去るのに、もう逆らわない」のほうが、実際の感覚に近いでしょう。
ここにある一行は、そばにいる存在です。治療の代わりにはなりません。喪失の重さがひとりで抱えきれないなら、グリーフカウンセラーや遺族の集まり、自分のこれまでを知っている医師が、スマートフォンの画面にはできない支え方をしてくれます。同じ部屋にいてくれる、もう一人の人間です。必要なだけ、いつまでも。それが3日目でも3年目でも、恥ずかしいことは何もありません。このカテゴリは、そうしたケアのとなりに座り、そのあいだの日々に寄りそうためにあります。
出典:Stroebe & Schut, The dual process model of coping with bereavement: rationale and description (Death Studies, 1999) · Bonanno, Loss, trauma, and human resilience: have we underestimated the human capacity to thrive after extremely aversive events? (American Psychologist, 2004)。
何かを直してもらおうとせずに、一行を読む
友達がそばに座ってくれるときのように、一行を読んでみてください。正しいことを言ってくれるとか、一日を軽くしてくれるとか、期待しなくていいのです。今日心に届く一行もあれば、届かない一行もあります。それは、悲しみ方がまちがっているしるしではありません。次の一行へ進んでください。今日、すべての一文をしっくりくると感じる必要はありません。
ここには予定表がありません。それこそが大事なところです。悲しみは朝9時に出勤してくるわけではなく、記念日ごとに同じようにやって来るわけでもありません。みんなが身構えている日には静かで、誰も予想しなかった何でもない平日に、大きくなることもあります。決まった時間ではなく、痛みが大きくなったときに、一行に手を伸ばしてください。ウィジェットを使っているなら、それは計画していた瞬間だけでなく、何でもない木曜日の午後2時に、ホーム画面をちらっと見ることかもしれません。
同じ一行を、長いあいだ手元に置いておく人もいます。カードに書いて財布にしまい、つらい朝に読み返す。悲しみには悲しみの時間の流れがあり、一文は新しくなくても本当でいられるからです。毎日違う一行がほしい人もいます。どちらでもかまいません。頼り方に、正解はありません。
悲しみがふいに戻ってくる、こんなとき
みんなが様子をたずねてくれなくなって何か月もたった、ふつうの平日。においや歌ひとつで、悲しみがそのままの大きさで戻ってきます。悲しみはカレンダーどおりにはやって来ません。だから、手を伸ばす支えも、カレンダーに縛られなくていいのです。
記念日。誕生日、祝日、かつては別の意味を持っていた日付を、初めて新しい形で迎える日。こうした日がつらいことは、まわりも予想しています。だから準備はしやすくなるかもしれません。でも、乗り越えるのが楽になるわけではありません。
誰かがせめてと言う瞬間。せめて苦しまずにすんだ、せめてお別れを言う時間があった。心のどこかが、すっと黙り込みます。その言葉は助けようとしていたのに、それでも助けにならなかったからです。このカテゴリは、そういうことをしません。「今の悲しみ方で、間違っていない」。
そして、もう立ち直っているはずだと思われる日。まわりの人にとってのその日が、いつやって来るにせよ。その日に悲しみのほうも去っていくことは、めったにありません。そうである必要もありません。今もここにいていいのです。それが、どれだけ長く続いても。
ほかのカテゴリのアファメーション
ホーム画面に、毎日ひとつ。
Daily Affirm は、こうした言葉を iPhone や Android のホーム画面ウィジェットに表示します。1日1回でも、1日に数回でも。無料で、アカウント不要、オフラインで使えます。